英語を母国語とする先生(英語ネイティブ講師)に教わる際に感ずるフラストレーションの一つは、我々日本人が時に感ずる「モヤモヤ感」を上手く伝えられないことです。 つまり、我々にとって難しいことが、ネイティブにとっては難しいとは限らず、結果的に「モヤモヤ感」を共有してもらえないのです。 今回のブログ記事では、この様になってしまう理由を考えてみることにします。
母国語と外国語では習得するプロセスが根本的に違う
英語は、英語ネイティブ講師にとっての母国語であり、我々日本人にとっての外国語です。 実は、母国語と外国語は、身につけ方(習得プロセス)が根本的に違います。
母国語は人としての本能で身につけるのですが、外国語は学習という行為を通して身につけるものです。
「母国語は人としての本能で身につける・・・」と言われても、ピンとこないかも知れませんが、次のような事に着目すると何となく納得がいくと思います。
『家庭内において全ての子供は母国語を話すようになる。(重度の障害などの例外は除き)
ところが、犬や猫が同じ環境で育っても、決して人と同じ言語を話すようにはならない。』
言語は脳を駆動するエンジンです。 母国語が身についていない段階では、そもそも「学習という行為」ができません。 母国語が身について、始めて学習できるようになります。 英語の習得を登山に例えると、目指す山頂は同じでも、それに至る全く違う登山道が2つ(「本能ルート」と「学習ルート」)あるようなものです。 英語ネイティブ講師は、「本能ルート」を辿って一足先に登頂した人と考えられます。 一方、既にある程度の年齢に達している我々には、「学習ルート」しか残されていない状況です。

つまり、英語ネイティブ講師に英語を教わるのは、別の登山道で登った人から、登山に関するアドバイスを受けているようなものです。 もちろん、これはこれで有意義なことで、例えば7合目まで達するとこのような景色が待っているのか・・・というような情報は得られますし、楽しいことです。 しかし、「学習ルート」を辿っている中で遭遇するさまさまな疑問や困難さには、的確な受け答えが出来ないでしょう。 なぜなら、そもそも同じことを経験していないからです。 これが、日本人が英語ネイティブ講師に感ずるフラストレーションの正体です。
学習を通して身につけることの特徴
言語に限らず、人はこの世に生を受けてから、様々なスキルを身につけます。 ハイハイしたり、歩いたり・・・は、母国語と同じように本能的に出来るようになると考えて差し支えないでしょう。 一方、他のほとんどのスキル(泳いだり、自転車に乗ったり、車を運転したり、計算したり、料理したり、機械を操作したり・・・)は、外国語と同じように学習というプロセスを介して習得するものです。
実は、「学習というプロセスを介しての習得」については共通する特徴があって、これをよく理解しておくと外国語としての英語の学習に必要なこともよく分かります。 この特徴については、少し長くなりますので、「学習の4段階」というタイトルの記事をご参照ください。